千葉県公安委員会 第44170075号

探偵社ブログ

不幸な出来事

不幸な出来事が多発して気づいてしまった違和感。夫と私の「とんでもなく深くて暗い溝」

「禍福はあざなえる縄のごとし」という。この世の幸と不幸は、より合わせた縄のように表裏をなすもの……ということわざだ。
ずっと幸福でいることもなければ、不幸だけの人生もない。喜びの裏には悲しみが潜んでいることもあるだろうし、災い転じて福となすということもある。

とはいえ、一時的に不幸なできごとが続くこともある。

 

昨年は不幸なできごとばかりだった……

「昨年は年初から悲しいできごとがありました」

そう言うのはアズサさん(43歳)だ。松が明けたころ、70代半ばの父が突然、倒れてそのまま還らぬ人となった。
特に持病があったわけではなく、元日にはアズサさん一家が訪れてにぎやかに過ごしたばかり。

「私はお父さん子だったから、一時は何をしても涙が流れてどうしようもありませんでした。小学生の娘たちにどれだけ慰めてもらったかわからない。
四十九日が過ぎて、ようやく母のことを考えることができるようになったほど、自分の悲しみに埋没していました」

その後、母親も落ち込んではいたが、春には友だちと旅行に行けるほど元気になった。もともとそれほど仲のいい両親ではなかったから、母は悲しくなかったのではないかとアズサさんは思っているそう。

「まあ、母と私もあまり馬が合わないんですが、元気になってくれればそれでいい。母は近所に兄一家が住んでいたので、特に寂しいわけでもなかったでしょうし」

だが、夏前、その兄夫婦が離婚してしまう。どうやら妻に好きな人ができて、家を出て行ってしまったらしい。高校生の息子は父親のもとに残ったが、その後、「やっぱりお母さんと暮らす」と出て行った。

「義姉の好きな人も既婚者だったようです。兄はプライドを傷つけられ、子どもにも見放されて行き場がなくて実家に戻った。
これは母もストレスだったようです。その後すぐ、母が体調を崩して入院、コロナ禍で見舞いにも行けなかったけど心配は尽きなかった」

さらにその後、アズサさんが学生時代から親しくしていた女友だちが、ある日突然、自ら命を絶ってしまった。これがアズサさんの心を直撃した。

「彼女が亡くなる前日に私、LINEのやりとりをしていたんです。次の週に会う約束もしていた。
彼女は確かに夫や義母のことでいろいろ問題を抱えていたけど、会えば明るく話す人だった。私は何も気づいてあげられなかったんです」

後悔は日に日に大きくなっていった。

日常生活と子どもたちだけが救い

どうにもならないことに直面したときは、頑張ろうとせずに「日常業務だけ遂行した」とアズサさんは言う。

「不幸の波に飲み込まれないよう、淡々と生活するしかなかった。娘ふたりを学校に送り出し、私はパートに出かけ、家事をして娘たちと話して寝る。
中学生と小学生の娘たちには、本当に迷惑もかけたと思います」

だけど……と、アズサさんの目が光った。

「夫はどうしていたのか、と先日、ふと思ったんですよ。父が亡くなったとき、夫は通夜には来たけど、葬儀はどうしても仕事で行かれないと。
しかたがないかと思いましたが、親戚からは『アズサちゃんの夫は来てないのか』と言われたりもしました。その後、私が落ち込んでいても夫から慰めてもらった記憶がない」

兄の離婚に際しても、母の病気のときも、夫から特に心配するような言葉はかけてもらわなかったし、相談しても「きみの家のことはわからないよ」とさえ言われた。

さらに親友の死で、沼に足をとられそうになっているときも、夫は何も言わなかった。

「あら、これ、どういうことなのと思ったんです。私はもともと夫に愚痴を言ったり、小さなことで相談したりしてこなかったけど、それは多忙な夫を煩わせたくなかったから。
でもさすがに去年起こったさまざまなことについて私の気持ちが沈んでいるのはわかっていたはず。だけど夫はあまりにも淡々と生活していましたね」

なんだかモヤモヤがおさまらなかったアズサさんは、「去年の私、すごく不幸が続いたと思わない?」と言ってみた。
夫はそうだねと言ったあと、「でもさ、世間にはよくあるじゃん、そういうことって」と言い放った。

「もしかしたら、落ち込んでいる私を淡々と見守っているということなのかもと好意的に解釈していたんですが、違ってました。
誰にでもあり得ることだと思っていただけ。なんでしょうね、この違和感。夫と私の間には、実はとんでもなく深くて暗い溝がしっかりできてしまったんだなと実感しました。
この先の夫婦関係、少し変わっていくかもしれません」

もちろん、悪い方向にですよ、とアズサさんはため息をついた。

 

 

 

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